概要 of #023 PerformenV~Purgatorio~

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父の葬儀は滞りなく終わった。そぼふる雨の墓地で彼は人形遣いと出会う。その人形遣いを見かけるのは2度目だった。以前、その男は街の雑踏の片隅に腰をおろし、歌に合わせて人形を躍らせようとしていた。何がそうさせたのかはわからないが、彼は人形遣いの前で足を止めた。糸も棒もなく、一切手を触れずに人形を動かそうとしているが、もちろん人形たちはその場から動きだすことはない。改めて見てみると人形は、まさしく人間とまったく同じ姿形をしたそれであった。それは彼がまだ少年だった頃、父に買い与えられた「パフォーマン」という動く人形だった。

DSCF0462.JPG少年だった頃、彼は父親に育てられた。父親は世の中を至極退屈なものだと捉えていた。人間は一見、自分の意思を持ち、それに従って生きているようだが、実際はそうではなく、もっと「何か大きな意思」によって生かされているにすぎないのだと、父親は常々ぼやいていた。父親は度々、それを「歯車」だとか「ピストン」だとか「器」というわかりやすい言葉に置き換えたが、それでも少年には、どういう事かわからなかった。少年は日々、自分の意思で生きていると思っている。腹が減った時には何かを食べ、のどが渇いたら何かを飲み、眠くなったら眠る。常に自分の事を決めているのは自分自身であると、疑う余地もなかったはずだ。
DSCF0119.JPGだが父親は言う。「人は、何かに動かされていても『自分で動いている』と思い込む事が殆どだ。」と。その姿は、まるで人のように律動する人型「Performan(パフォーマン)」なのだと。日常の世界は何の変哲もないように思えるが、言いかえれば、毎日毎日同じ事を繰り返しているだけだとも言える。人々は毎日同じレールの上を延々と歩く。そしてそれは、少年が思っていたのと同様に、すべて自分の意思であると思いこんでいるに違いない。「何か大きな意思」に生かされているとも知らず。「『何か』に動かされているならどうして自分達は存在しているのか。生きている事に意味があるのか。」父親はその疑問を持ち、「何か」に対して反乱をおこし、一人戦いを挑んでいたのだ。均整の取れていた退屈な日常は、父親の反抗により多少の歪みを生んだ。
DSCF0611.JPG歪んだ世界は確かに退屈なものではなくなったが、今まで生き方を「何か」に委ねてきた人間達は、ねじ曲がったレールの上でただただ、混乱をするばかりであった。これが父の望んだ世界なのか。少年は気付いた。この世の中の人間は、当然自分も含めすべて「Performan」なのだと。父親は「何か」に何度も何度も抗って、その度に敗れた。戦う父親の姿を見ながら、少年は成長する。「Performan」は自分たちを産み出した「何か」に勝てない。ただ、自分はそれでもいいと思った。退屈な世界で、ただ生かされているだけの存在であるとしても、自分はまずそれに気付いたのだから。他の誰もが未だ自分の意思だけを信じていても、必ずしもそうではないことを、自分は知っている。自分は世界の在り様を捉えつつある。世界の端っこにようやく立つことができたのだ。

身をもってそれを教えてくれた父親は、今はもういない。
少年は成長して彼になり、今、自分を哀れな「Performan」だと認めながら一人で、画一化した個性のない世界に向き合う事になる。

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DSC_0182.JPG人を創り、支配しているものとは何か。「人は点と線で描き切れる」と豪語した絵描きの師ならば知っているのではないか。穴の底にいるというその男を追い、世界の深い場所までたどり着く。しかし、穴の底でその答えは見つからなかった。ひとつ見つけたとすれば、そこでもただ、自分が「Performan」だという事を再認識させられ、しかし、それでも生きている以上はそれを受け入れていくしかないという、変わりない、だが前向きな答えだった。

気づくと人形遣いは、墓を掘り起こし、かつて人間だったモノたちを抱え集めていた。彼の父親だったモノも、背中に担がれている。制止しようとした彼の頭には人形遣いの歌が聞こえてくる。
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DSC_0305.JPG彼はかねてから持っていた疑問を人形遣いに向けた。「『何か』の意思に動かされているならどうして自分達は存在しているのか。人間の為りをしていればいいだけなら、アナタが今抱えているモノも、人間と呼べるのか。」「答えは楽園にあり、楽園は頂きにある。」人形遣いは掘っていた墓穴を指差す。墓穴だと思っていたそれはかつて、絵描きの弟子たちと覗きこんだ地獄の穴。底には地面の反対側の世界の光が見える。
DSC_0050.JPG地獄の底まで辿り着いた先には、掘った分だけ世界の裏側に山が突出していた。それは「Purgatorio(矯正所)」と呼ばれている山。人間としての個性と自由を取り戻そうと試みる愚かな律動人型達が許しを請い、神にへつらう場所。人形遣いはゆっくりと歩を進め、山を登っていく。自分はまだ世界の端に立ったばかりだ。その頂きには何があるのか。その好奇心が、彼を山に向かわせる。山の上の方から、誰かの声がこだまする。それは昔の偉大な哲学者の言葉のように思えた。

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DSC_0041.JPG人形遣いの姿はすでに見えなくなっている。彼は、ついさっきまで父が埋まっていた地面を振り返る。あれだけ「何か」と戦い、そのたびに敗れながらも日々を暮らし続けた父が死ぬという事を、彼は想像することはなかった。だが、人間である以上、死は訪れる。父は人間の仕組みをしたまま死んだ。人が生まれて、なのにその生が永遠ではないのはなぜか。何故我々は「何か」に支配され、大きな意思に従って生きるだけの存在に至ったのか。神への「罪」とは。彼は何となく思う。その根源は、あの山の頂上にあるのではないのか―。

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