近代屈形拾遺 of #026 君には頭がさがる

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近代屈形拾遺

民俗学者の福野隆彦が1952年(昭和27年)に発表した説話集。
陸沢県澄川村(現・佐栗市)出身の小説家・民話蒐集家であった万代芳雄よって語られた、江戸末期から大正初期の屈沢盆地~屈沢街道に纏わる説話を、福野が筆記・編纂した作品。
その内容は天狗、河童、座敷童子など妖怪にまつわるものから、山人、マヨヒガ、神隠し、死者などに関する怪談、さらには祀られる神、そして行事や習慣、村人の間で交わされた奇妙な小話など多岐に渡り、遠野物語を激しく殊更に意識しているものと思われる。
『近代屈形拾遺』には、218話が収録されている。民間伝承に焦点を当て、気を衒う改変はなく、聞いたままの話を編纂した事、簡素な口語文体である事が特徴であるが、民俗学界からは全くと言っていい程、注目されていない。




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福野隆彦      万代芳雄

一.匂粗の鎖(クゾノクサリ)
菅虫(スゲムシ)の幼虫の繭から紡がれる糸を匂粗という。蚕同様の桑の葉を餌にしたこの養菅が一般的となっている。
ある年、養菅家の中でも村で一番の大棚である真坂家の畑の桑が、一斉に枯れてしまった。当主であった喜之助はこれを苦に、匂粗を束ねた紐で自ら縊死した。真坂に代わって勢いを持ったのが、村で二番目に棚の大きい生島で、大いに繁盛する。
しかし、その翌々年、生島の桑園も同じように全滅し、当主である長房も気を病み病没してしまう。
喜之助の祟りであるとも噂された。その年、三番目の棚、清瀬が繁盛する。
が、その後も、新しい養菅家が興る度、その畑が枯れ、当主が何らかの理由で亡くなるとういう奇妙な現象が続いた。各養菅家は寄合を設け、村に抜きん出た大棚がでないようにし、等しく養菅を続けた所、この現象はぴたりと止まったという。



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二.青祠女(アオシナ)
矢菅神社からほど近い祠の傍に長らく空き家があったが、いつの頃からか余所から来た若い夫婦が棲み始めた。夫婦は村人達との付き合いを避け、特に妻は日が出ているうちは表へ出る事はなかった。ある朝、木の又寅吉という男が無残な姿で発見された。その首には噛み切られた跡があり、その頃、山家に熊が出るという話があり、きっとその仕業に違いないと、通称を豆鉄というマタギが相方の辰好を連れ猟銃を担ぎ矢菅の奥に踏み入っていった。翌朝、豆鉄も骸となって見つかる。一人戻った辰好に事情を聴くも前後を無くしており、要領を得ない。辰好は矢菅の祠近くで豆鉄を見失い、見つけた時には既に事切れた後であり、そこで見たというには、頸より血を溢れさす豆鉄と、それを潤んだ大きな瞳で見下ろす、あの妻であった。その唇は血に濡れたように紅に染まっていた。



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三.檀那失せ(ダンナウセ)
野本の百姓・峯郎は、淵輪の娘であるサエを嫁にもらった。サエは細っそりとした線をした体つきであったが、年々、少しずつ肥えていった。対して峯郎は、少しずつだが痩せていき、いつしか畑にも出られなくなるほど痩せ細った。サエは代わりに畑を耕し、夫を献身的に世話した。しかし、ある日、突如峯郎は姿を消す。方々手を尽くして捜したが、その行方はようとして知れなかった。数年後、サエは野本の平造という百姓に再び嫁ぐが、平造もそのうち痩せ細って生き、ある日突如蒸発する。その後、同じく野本の某に嫁入りし、その男もいなくなった。この頃のサエは嫁入り前より倍は肥えていたという。村の者は、サエが夫を食っているのではないかと噂し合った。サエは追い出されるように実家に戻るが、その後、野本の集落では淵輪の娘を嫁に取る事はなくなった。


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四.座敷大童(ザシキオオワラワ)
この年の冬に尾伏山の山裾で大きな野火がおこり、置場に飛んだ火が、佐山組が卸すはずだった材木に燃え移り、売り物にならなくなった。当主の正之は途方に暮れて、商売をたたもうと考えていた。ある夜、正之が床につき眠れない夜を過ごしていると枕元を何者かが歩く重い足音がする。その足音は毎夜毎夜現れたが、夢うつつの事だと気にも留めないでいた。翌日、置き場には卸すはずだった材木が、燃え跡もなく無傷で積まれていた。狐につままれたような思いだったが、正之は狂喜する。これを機に佐山は大いに繁盛する。正之の寝床ではその後も何者かの足音がしていた。ある日、仕事に疲れていた正之は、音に苛立ち「出ていけ」と怒鳴ってしまった。その夜半、佐山組からの出火は、明け方にはすっかり鎮火していたが、寝室から正之らしき男の焼け姿が見つかった。


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五.波羅夷(ハライ)
明応より享禄の数十年間に柵里地方には領主不在の時期があり、各村落が自治状態にあったという。各村々の集落から世話役を送り出し、惣村寄合によって治安や普請を担っていた。世話役はそれぞれの集落がこれぞという人間の名前を書いて入札し、選び出す。世話役は任期1年の間の殆どを、野本にある元山寺で暮らすため、淵輪の集落では内内で、この入札を「波羅夷」とも呼び、村にとって迷惑な人間を厄介払いするための方法として使われた事もある。戦国期が終わり時代が下ると、世話役の役割も変わってきたため、入札自体が大々的に行われる事はなくなったが、淵輪では、集落の為にならない者や気に入らない者を追放する手段としてたびたび用いられた。追放を強制する力はないが、集落の人間の態度は大きく変化し、それに耐えきれず大抵の人間が退去したという。


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六.根張(ネバリ)
淵輪にフエという女房がいた。働き者ではあり、気立てもよかったが唯一瑕なのがおしゃべり好きであった事という。他人の家へ用事に行き、用事が済んでもお喋りに華を咲かせ、なかなか帰ろうとしない事が多々あった。亭主の清蔵はその都度これを叱るも、一向に言う事を聞く気配がなかった。業を煮やした清蔵は、名主に相談を持ちかけ、名主は一案を思いつく。その数日後、名主がフエを訪れると、彼女はいつものようにお喋りを始めた。名主は話に丁寧につきあう。フエのお喋りは1晩と半日続いた。さすがのフエも疲れ、喋る事も尽きたと見え、引き取り願おうとする。しかし名主は帰さない。名主はまるでフエのような調子でさらに1晩と半日帰らなかった。二人の根気比べは三月続き、ようやく精魂果てた時、フエと名主の足は無くなっていて、床に根が張っていたという。


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七.乞われ御(コウワレゴ)
棲川(現・隅川)には古来より悪しき龍神が棲み、様々な災厄をもたらすと信じられていた。集落に疫病が蔓延したり、川が氾濫したり、村に凶事が起きた際には、その龍神が「人代」を欲しているとされ、村の住人の中から生娘が選ばれ、川に沈められたという。その後、年月が経つにつれ、生娘に限らず、性別老若問わず村の住人から選ばれるようになるが、やがて集落の住人がこれを拒むようになった為、甘言巧みに村外の人間や、一時的に村を訪れている者にまでを説き伏せ、人代になる事を乞い、時に人攫いまでして供物を連れてきたという。平安末期からの伝承と言われ、その風習は江戸初期まで続いたとされる。もっとも室町後期になると棲川は人を沈めるほどの水量がなかった為、棲川沢の洞穴の一つに供えられたという。


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八.負いつ枯(オイツガレ)
木原ヨシは、彼女がまだ幼い頃へ街へいった兄・弘の身をいつも憂いていた。弘は街の大店で奉公し月に一度、ヨシに仕送りをしていた。この日は、里帰りをする旨が手紙されていた。ヨシはあまりの嬉しさに、毎日、屈形の街道まで出迎えに行ったが、兄はまだ姿を見せない。街道から外れた、人通りの少ない脇道に木が立っており、ヨシは毎日その木に登り、弘の姿を見つけようとした。ある日、いつものように木に登ろうとして手を伸ばした枝が折れ、ヨシは転落してしまう。大怪我をしたヨシは、それでも兄を待とうと、帯で体と木を巻きつけてまるで木を背負うようにその場に立った。来る日も来る日も待ったが弘は姿を見せない。ヨシは衰弱していた。不思議と、木も衰弱していた。やがて木が先に枯れた時、ヨシも事切れていた。数刻後、全身に大けがをした男が木の下に倒れこんだ。男は店から大金を盗み出し、故郷へ逃げてくる途中で追手に追いつかれ、激しく暴行を受けた。そののち何とかこの木の下まで辿りついた。弘はここで絶命した。



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九.宍戸の木漏れ火(シシドノコモレビ)
村で罪人が出た時、寄合の裁きが出るまで、棲川上流の沢にある宍戸と呼ばれる洞穴に罪人を押し込めた。宍戸は外から岩で蓋をされ、密閉状態になり、裁きが下る前に絶命している事もあったという。そこで沢穴の反対側に空気の通る孔を穿ち、隙間を作った。押込みを働いた定次という悪人が、ここへ閉じ込められた。空気の隙間はあるが、ただでさえ息苦しいうえ、その時期の棲川の沢は夜半から明け方にかけ急激に冷え込む。穴内で暖を取ろうと、定次は枯れ木枯草に火をつけた。人心地ついた定次はそのまま眠りに落ちる。沢の麓からは隙間から漏れる火で、あたかも沢の宍戸が赤く灯っているようだったという。その明りは夜中灯っていたが、明け方には消えていた。様子をうかがうと、定次は息絶えていた。


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十.てえべえ(テエベエ)
古くより平岐に伝えられる妖怪とされ、古い文献には「体弊」と記されることもあるが、その実態は現在も不鮮明である。姿形は伝承する人間によりまちまちであり、時に人よりも一回り小さい体つきの鬼の一種とされるが、多くには、その姿は本来見えぬものとされてる。一様に同じなのは、てえべえが一たび現れると、村人一人残らず喰い殺され、帯子地方にはてえべえにより全滅した集落も存在するという。てえべえは人の吐く息を感じて近寄ってくるため、口を手で塞ぎ、息を止める事で避ける事ができるとされると信じられている。



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